私は、石川県志賀町の小泉勝町長とは会った事もなく、何の利害関係もないし、親の仇と云うわけでもないから、特段、卑しめてやろうとか、或いは事情の如何に関わず地位を守ってやるのだとかの気持ちは持たない。

小泉町長が主張する米国Wood短期大学卒業・学位について、志賀町民の間から疑問が生じ、偶々その事実を調べる機会に接したので、他の人よりも多少事実を確認することが出来ており、確認された事実を共有することで、志賀町民の方々、或いは真正でない米国学位問題について興味を持たれる方の、参考や判断に資することが出来ればと思ってこれを書いている。

とくに志賀町の方々は、小泉町長擁護派の人もそうではない人も、皆夫々の利害や考えはあるとしても、統制や強制された一方的な偏った宣伝情報に拠ること無く、全体的な事実を承知したうえで、各自が夫々御自分で判断されることが大切なところだと思っている。

以下これまでに確認出来たことの纏めである。

ーAー

@留学先短大に存在しない学位

小泉町長が1985年秋期から1988年春期まで留学していた米国短大「Wood Junior College」(ミシシッピイ州Mathistonに所在した)は、2003年5月に閉校になっているが、学生の教育記録(Transcriptー成績証明書)と短大カタログ(大学要覧ー1952年より2003年分)は、同じ基督教メソジスト派系の4年制大学であるミルサップス大学(Millsaps College-州都Jackson市に所在)が現在管理している(同大Office of Records)。

短大カタログには短大が授与する学位や教育課程についての詳細が記載されてあるわけだが、小泉氏が卒業したとする1988年の短大カタログ(1987-89年版カタログ)には学位として、「Associate of Artsー短期大学士(一般教養・人文科学)」と「Associate of Applied Scienceー短期大学士(応用科学)」のみがあり、小泉町長の所持する学位記(卒業証書)の「Associate of Applied Artsー短期大学士(応用美術)」という学位については記載が無い。

専攻コースについても、「Applied Arts(応用美術)」と言ったものの記載は見当たらない。

小泉町長が留学していた期間の前後を含む、1983年から1993年間の同短大カタログを実地に閲覧したのだが、同短大の上記2つの授与学位や専攻コースについては、必修科目や単位についての若干の変更は見られるものの、この間基本的変更は無く、一貫している。

閲覧した短大カタログには「Applied Arts」と言った言葉は一言も出て来ておらず、小泉町長が所持する学位記(卒業証書)の、「Associate of Applied Artsー短期大学士(応用美術)」なる学位の根拠は、不明である。

(注)短期大学卒業者の学位については、平成17年より「短期大学士」の学位が創設されており、「准学士」というのは法令上の名称なので、米国短大の「Associate」学位は「短期大学士」とするのが相応しいのでこれを用いている。(注1)(注2

ーBー

@本人の成績証明書と、取得したとする学位との不一致

教育記録である本人の成績証明書には、美術・芸術関係として履修した科目は、「ART1113 Art Appreciation」の1科目があるのみである。

これは”美術理解の基礎”といったものであるから一般教養としての美術科目と考えられ、専攻としての「Applied Arts(応用美術)」に該当する学科の履修は皆無である。

成績証明書からは、「Applied Arts(応用美術)」学位コースを専攻していたという事は、考え難い。

また成績証明書上に取得学位についての記載は無く、終業・卒業期についても記載が無い。(

ーCー

@卒業出来なくても出席可能な卒業式

米国の大学等では、卒業式セレモニーの催行時点では学位取得・卒業が確定されていない場合が多く、卒業予定者であれば卒業式に”卒業生”として参列することが可能である。 学位記である卒業証書は後日郵送されるというケースが多いようである。(注1)(注2)(注3

Wood短大と同じ基督教メソジスト派系の、同じくセメスター制(2学期制)の、これは4年制大学であるミルサップス大学の場合も、卒業式セレモニーは5月に催行されているが、続くサマー・セッション(夏季講習)で単位を取る学生もおり、卒業式セレモニー催行時点では学位取得・卒業を確定することは物理的に困難であり、卒業式には卒業予定者であれば参列が可能であることを同大で確認している。

卒業式が終わった後に、未だ講義を受講して単位を取得する学生がいるなど、日本の厳格な卒業式()のイメージからすると考えられないことだが、卒業式に”卒業生”として参列していても、最終的に学位取得・卒業が出来ない学生も米国では存在するということである。

Wood短大も1988年当時の学事カレンダー(短大カタログ1987-89ページ5)を見ると、卒業式セレモニーが5月15日であるが、その後にサマー・セッションがあるので、状況はミルサップス大学と同様である。

米国社会では、卒業式に参列していることや、卒業アルバムのようなものが、何ら学位取得・卒業の証明根拠にはならない。

以上の確認事実からすると、小泉町長の所持する米国短大学位記(卒業証書)が真正なものであるとすることは、極めて難しい話となるわけだが、「それでも間違いなく卒業している」と主張するのであれば、先ず小泉町長は、御自分が取得したと称する学位「Associate of Applied Arts」が当時Wood短大に存在した根拠・証拠を具体的に示して説明する必要があろう。

無いものでも”ハッキリ見える”と言う弁護士もなかにはいるようだが、無いものを探し出してくるのは普通の人には困難なので、やはり事情を一番よく知っている小泉町長御自身が、逃げも隠れもせずしっかりと、町民に説明すべきことであろう。

もしも、根拠の無い真正ではない学位をWood短大が発行していたような場合には、小泉町長も被害者である可能性も考えられるわけだろうし、小泉町長が御自身の所持する学位や卒業の根拠を明確に証明されるようであれば、私は躊躇無く直ちに小泉町長を擁護するのであるが。

Wood短大というのは、ミシシッピイ州の州都Jacksonから車で190Kmほど北東に行ったMathiston()という小さな町に所在した2年制短大で、基督教メソジスト派による設立であり、基督教による人間観を基とした全人教育の、所謂リベラル・アーツ(Liberal Arts:一般教養・人文科学)系の短大であり、芸術・美術系の学校では無いので、職業訓練的・実務応用的な「Applied Arts(応用美術)」と言った、マーケットも極めて限定されているであろう学位コースが、突如として設けられる事はそもそも考え難い。

ミルサップス大学がWood短大の学生教育記録であるTranscript(成績証明書)と一緒に短大カタログを管理しているのは、短大カタログには教育課程の詳細が載っており、成績証明書を理解する上で欠かせないものだからであり、短大カタログ上には「Applied Arts」なる言葉自体一言も見られず、当該学位の記載も無いことの意味は重いであろう。

カタログに書いてないものは、やはり無いだろ。

ちなみに、他のWood短大一般保存文書類は他の場所で保管されている。

Wood短大の跡地建物は、現在「East Webster High School」が使用している。近郊に在った同ハイ・スクールの建物が去る4月27日のトーネードにより全壊した為、当分の間使用するとのこと。(

基督教メソジスト派系として日本には関西学院大学がある。同大学の校祖であるランバス博士は基督教メソジスト派の宣教師であったという。(

★代理人弁護士による「報告書」について

小泉町長からの具体的な説明は聞かれず、代わりに代理人の國田弁護士により、「報告書」なるものが提出されているわけだが。(

町長の代理人弁護士だという國田武ニ郎氏という方も今回初めて名を聞いたのであり、氏とは何の利害関係も無く、これも親の仇と云う訳でもないから、特段、意趣返しとかの気持ちは無いわけである。

当学位問題に関係するところのコメントをしておく。

「報告書」ではアメリカの大手法律事務所の調査結果として、卒業式のプログラムや卒業証書を証明の根拠として上げているのだが、前述した通り、米国では卒業式に出席することは何ら学位取得・卒業の証明根拠とはならない事は、「その信用性は極めて高い」とする「アメリカの大手法律事務所」であれば、その事実は承知、あるいは事実を調査確認する能力はあるわけであり、決してそれらを卒業の証明の根拠とすることは出来無いわけだが、調査依頼したというアメリカの大手法律事務所とは、調査事項に関して一体どのような確認の遣り取りがあったのか、大きな疑問が生じる。

成績証明書の中身の検証については、先ず、「Associate of Applied Arts」学位の存在を確認し、その学位取得に必要な必修科目や単位数、成績などの必要条件を見なければ、成績証明書の中身の検証など出来ない話であるが、「(学科が)当時あったかも知れないし、なかったかもしれない」「正直分からない」(國田氏発言ー新聞記事)とする学位の卒業要件が、「卒業するためには、合計64セメスター単位を終了し、成績評価点の累加平均2.00(C)を取らなければならない」と、必修科目項目は全く抜きで、報告書にまことしやかに明記されている根拠は一体何なのだろうか。アメリカの法律事務所からの調査報告なるものをどのように確認し解釈しているのか、極めて大きな疑問が生じる。

「その他、卒業を証明する資料がある。」として、

(1)卒業証明書

(2)成績証明書

(3)卒業アルバム及び在学中のアルバム

(4)卒業式のプログラム

を挙げているのだが、(1)の「卒業証明書」とは、現在閉校になった米国短大が「卒業証明書」を発行することは考えられないので、小泉町長が所持する「卒業証書(学位記)」のことを言っているものかと推察されるのだが、社会一般には「卒業証書」と「卒業証明書」とは全く別のものなので、これが何を指しているのか?些か意味不明な所はあるのだが、小泉町長が、「卒業証書(学位記)」や「卒業アルバム」などを新聞記者等に見せて、米国短大卒業を主張していることに疑問が呈されているわけであり、小泉町長の「卒業証書(学位記)」や「卒業アルバム」といったものの卒業証明としての信憑性が問われているわけであるから、それらを”証明”資料として列挙するというのは、一体どう理解したらよいものだろうか。

報告書には少なくとも7人の弁護士の名前が列挙されており、調査の結果として、「以上から、小泉氏は、「ウッド・ジュニア・カレッジを卒業したことは事実であり、経歴に何らの詐称もないことが判明した。」と結んでいるのだが、実際に調査をしたとすれば、調査にあたっては、保管されているWood短大のカタログ等の、私が調査したものと同じ資料を少なくとも調査している筈であり、真面目に資料を見れば、小泉町長の主張する学位の存在は確認されず、卒業したことの事実も確認出来ないわけだが、これほどまでに全く違った結論を「報告書」として提出するということは、甚だもって興味深い。

さらに、「流言飛語に惑わされることなく、本件の問題をこれで終結させることを強く要望する。」とまとめているのだが、”この問題は終わりにしろ、黙れ”と言わんばかりの、同郷である町民へのこの姿勢は、一体どうしたことだろうか。

私は宮城県の百姓の出であり、元来こういった事には疎いわけであるが、日米の大学の方や教育関係者をはじめ、色々な方に教えや助言、調査法についての示唆等を戴き、実地に調べる機会も与えて戴き、何とか自分で考えることが出来るようになったのだが、若しこうゆう機会が無かったならば、”「報告書」は信頼出来るアメリカの大手法律事務所まで加わった多くの弁護士による調査の結果であるから”、として、丸々鵜呑みにしていたろうか。

小泉町長の代理人弁護士である國田武ニ郎氏は元検事であり、検事生活が長く、若手検事の指導育成などにもあたっていた由であるが()、真実には関係なく、恣意的に黒白を自在に出来るとでも若し考えているとしたならば、昨今の検察問題の病理というのは、些か深いだろうか。

一事が万事このようなことでは無いと思いたいが、検事や弁護士といった日本の法曹の、ものの考え方、倫理観、クオリティーといった事について考えさせられる。