小泉町長の依頼した代理人だという國田武二郎弁護士により、町長の成績証明書の提示と説明がなされ、國田弁護士ら「あすなろ法律事務所(名古屋市)」による「報告書」というものが提出されたのが、去る2月21日の志賀町議会全員協議会の場だったろうか。

提示された小泉町長の成績証明書や代理人弁護士による説明、「報告書」の内容に関しては、多々疑問が呈されていたが(朝日新聞2・22朝刊記事その他)、町長や代理人弁護士がその後町議員や町民に対して回答・説明を行ったという話は聞かない。

國田弁護士らが調査を依頼したのだという米国の弁護士と事実関係を再確認する時間も十分あったろうし、これだけ時間も経っているのであるから、小泉町長や代理人弁護士らは、これ以上の問答は無用、これ以上の説明をする気は無いということなのであろう。

小泉町長が米国短大を卒業したことは、「事実であり、経歴に何らの詐称もないこと」「学歴を詐称した事実がないことが明らかになった」と断定し、「流言飛語に惑わされることなく、本件の問題をこれで終結させることを強く希望する。」としている國田弁護士らあすなろ法律事務所(名古屋)の「報告書」というのは、なかなか興味深い。

短大などへの進学希望者というのは、その学校の大学案内(Catalog/大学便覧)などを眺めて、希望の学部・学位コースを選択し進学するのだろうが、そもそも町長の小泉勝氏は、当時の短期大学案内には載っていない「応用美術(Applied Arts)」という学位コースを、どうやって選択し、それを履修して、「応用美術準学士」という学位記(卒業証書)を所持しているのだろうか?

「(学科が)当時あったかもしれないし、なかったかもしれない」、「正直わからない」と言う代理人國田弁護士の正直な話(2・22インタビュー記事 北国新聞・毎日新聞他)であるから、これは、”調査したのだが、小泉町長が卒業したとする米国短大に応用美術準学士という学位コースが存在したことは確認出来なかった”と言う事であろう。

普通の言葉で平たく言えば、「そんな学位コースは無かった」ということであろう。

「卒業するためには、合計64セメスター単位を終了し、成績評価点の累加平均2.00(C)を取らなければならない」と、卒業要件を報告書には記しているのだが、必要単位数や必修科目(Core curriculum)などの卒業要件というのは学位コース毎に異なるものであるから、國田弁護士らのあすなろ法律事務所は一体何を根拠として、応用美術準学士の卒業要件を記したものであろうか?

小泉町長が卒業したとする米国短大(Wood Jr. College)には当時2つの学位があり(Associate of ArtsとAssociate of Applied Acience)、必修科目は異なるものの、どちらも必要単位数は64単位となっているので、これを引用した?可能性があるが、報告書では必修科目については完全に除外し全く言及していないのは、流石にこれを記す事は出来なかったからだろうか?

報告書では、調査は米国の大手法律事務所の日本人弁護士らに依頼したとあるから、調査依頼先の弁護士の質の問題という可能性も考えられるが、私は西海岸小都市シアトルのスタッフ40人ほどの小さな弁護士事務所の数人の弁護士位しか知らないのだが、米国の弁護士が、このような調査に当って、卒業要件の重要な項目である必修科目について全く考慮しないような報告書を平気で出してくることを想像することは難しい。

報告書は元検事だという國田弁護士の他3名(佐藤祐策、脇本志乃、鈴木亮各弁護士)の弁護士によるものであるから、あすなろ法律事務所の各弁護士は、米国法律事務所の係る調査報告をそれなりに理解し了解した?という事になるだろうが、説明がされない以上どのような事だったのかは解らない。

本調査はアメリカの大手法律事務所所属の弁護士らが調査したものであるから、「その信用性は極めて高い。」として鵜呑みにし右から左にしただけだとすれば、随分と呑気な話であり、あすなろ法律事務所の質が問われるだろうか。

<成績証明書>

学位取得・卒業を証明する成績証明書は、提示される迄何故か随分と時間がかかったが、2月21日の全員協議会の場でも資料が一旦配布された後に、成績証明書は回収されているという。

一見して、学位名や卒業事実の記載が無いが、代理人弁護士による報告書は、「米国の大学においては、卒業したことが成績証明書自体に必ずしも明記されるとは限らない」、よって「中身から卒業に必要な単位が取れているかどうか検証すれば、それで卒業したことが明確になるところ」としている。

成績証明書は、右端の各履修科目取得単位(Sem.Hr.Cred.)の合計と、下欄の取得単位計(HRS.EARNED)に差異が生じているものだが、仔細に眺めれば重複記載もあり、実際の取得単位は表示数より少なくなる。

卒業必要単位数が64単位としても、それを満たしてはいない。

成績証明書は、卒業後も進学や就職などで折に触れ提出が必要になるものなので、その都度本人や短大当局がいちいち成績証明書の中身を説明して、取得学位・卒業の事実を説明しなければならないと言うのでは大変不便であろう。

学位取得と卒業は同じことなので、学位と就学期間くらいが記載されていれば、敢えて「卒業」と記載する必要はないだろうが、学位の記載をしない短大や大学の成績証明書というのは不自然であり、どうも考え難い。

成績証明書上に学位の記載が無いということは、学位取得がなかったと理解するのがやはり自然であろう。

履修科目の内容を眺めると、美術関係は1科目のみであり、それも基礎美術科目であり、美術関係の専門科目が皆無であるから、本人の成績証明書からも「応用美術」学位コースだったとは考え難い。

「学校がないので調べようがない」との小泉町長の話(2月22日北国新聞)なのだが、御自身のことであり、解らないと言う事が私にはどうにも解らない。

成績証明書にはタイプライター活字とPC(パソコン)プリンターと思われる2種類の印字が見られるので、何か意図的な改竄の可能性も考えられるが、当時米国社会で普及し始めていたPC(286CPUチップのものが始まりであった)の事務処理導入による混乱で、記載の重複や合計単位の差異等が生じた可能性が考えられようか。

”電子計算機(PC)”を途中から導入すると、足し算が合わない、それを修正しようとすると更に数字が怪しくなる、と言う事は当時よくあった。

当初、成績証明書の提示は田中町議会議長(当時)一人とし、内々で提示後は町長の学歴疑惑に関しては今後何も言わないこととする、との提案があった由だが、成績証明書をあまり多くの人に見せたり、長い検証時間を与えたのでは、疑問の点が色々出て来て何かと都合が悪いというところだろうか。

流石に田中正文議長はその手には乗らなかったようだが、成績証明書の理解には疎く、しかし町を纏める立場にある者を狙ったとも思えるが、議長や町民等相手の知力を低く見下した行為といえようか。

國田武二郎弁護士は元検事だといい、20年間検事として奉職されていたそうで、法曹としてのものの考え方も長い検事生活を通して醸成されたものだろうが、今日本の検察制度は揺らいでいると言う。

真実には関係無く検事自らが描いたストリーに沿って事実を歪曲して仕舞うようなことが、日常的に検察組織の中で行われている可能性があるといい、長年の閉鎖的な組織機構から生じた”病理”が指摘されていると言う(毎日新聞社説2011・4・14「元主任検事実刑 検察全体で受け止めよ」。日経社説2011・4・2「検察は生まれ変われるか」他)。 極端な例では証拠に手を加えてデータを改竄した大阪地検特捜部の検事までいた。(参考

検察制度は廃止してしまう訳にもいかないものなので、失われた国民の信頼を回復すべく、制度改善の提言や改革が模索されている最中のようだが、「元検事」としても、事実を歪曲して自らの描いた構図を押し通そうとしている、との”誤解”を受けない為には、指摘を受けた疑問点に関して真摯に回答・説明を尽くしてゆく以外ないと思うが。

<不起訴処分と信じている>

小泉町長は、「後は検察が判断する。百二十パーセント不起訴処分になると信じている」との話であるが(北陸中日新聞2011・2・22朝刊)、”起訴されたらイッカンの終わり”との思いもあるのだろうが、検察というのは犯罪性という視点から調べているのであろうから、「疑わしい」と言うだけでは罰せられるようなことにはならないだろうが、仮に若し不起訴処分となったとしても、それで御自身の学位・学歴の真正性が証明された事にはならない。

「疑わしい」という疑念が晴れなければ、損なわれてしまった町民の町長への信頼は戻らないのであるから、原子力発電所が所在する町の公選された首長として、今何より大切な町民の信頼を回復するには、疑わしいと指摘された事項については、これも真摯に回答・説明を尽くしてゆく以外ないのではないか。

弁護士という職業も、行政を担う民主主義国家の地方首長という仕事も、物事を他人に解り易く説明出来ることがベーシックな能力として必須な仕事であろう。

小泉勝町長も、代理人國田武二郎弁護士も、しっかりしていただきたい。