それにしても、時間のかかるものである。

「小泉町長の公表学歴は虚偽であり、公職選挙法に違反している。」として、稲岡保男氏による最初の告発状が金沢地方検察庁に提出されたのが、2010年12月9日付というから、既に丸1年は過ぎ、2年目に入っている。

告発というのは、「何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる」とされ(刑事訴訟法239条)、「官吏又は公吏は、」と言うからこれは国民の税金で御給料を戴いている所謂公務員だろうが、「その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」(同条2項)と、公務員の場合は告発は義務なのだというから、生真面目な町役場の方などは大変だろうか。(刑事訴訟法

告発を受けた検察は、公益を代表する公訴権を独占する国家の刑事訴追機関として、その権限行使の適正を期するため、積極的に自ら事件の真相解明に努力して、収集された証拠を十分に検討した上で、被疑者について裁判所に公訴を提起、或いは不起訴・起訴猶予といった処分を決定することになるという。(検察庁

告発者にはその処分の通知がなされ、公訴提起しない場合には、請求すればその理由についても教えてくれることに刑事訴訟法ではなっている。

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第二百六十条  検察官は、告訴、告発又は請求のあつた事件について、公訴を提起し、又はこれを提起しない処分をしたときは、速やかにその旨を告訴人、告発人又は請求人に通知しなければならない。公訴を取り消し、又は事件を他の検察庁の検察官に送致したときも、同様である。

第二百六十一条  検察官は、告訴、告発又は請求のあつた事件について公訴を提起しない処分をした場合において、告訴人、告発人又は請求人の請求があるときは、速やかに告訴人、告発人又は請求人にその理由を告げなければならない。

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検察より告発人に処分の通知があったという話は未だ聞かないので、金沢地検に於いては、無実の者を罰し,あるいは,真犯人を逃して処罰を免れさせることにならないよう、刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現するため、知力を尽くして事案の真相解明に積極的に現在努めている最中、と理解する以外無いことになろう。

小泉町長が留学していたという米国短大-Wood Jr. College-は既に閉校されているが、当時の短大要覧(Wood Catalog)は残っており、短大の認証評価をしていた大学認証評価団体-SACSCOC-にも当時のWood短大の教育内容について実査評価した認定報告書が残っている。 かつての短大教授や短大関係者も存命である。

小泉町長が、同短大を卒業し取得したのだとする学位記の、「Applied Arts(応用美術)」なる学位コースが同短大に存在していたのか否かを確認することは、左程時間の要る難しい話ではあるまい。

事案によっては真実を究明するまで捜査に数年を要するような案件も当然あるだろうが、この事案については、短大を卒業出来たか否かということの確認であるから、1年を優に過ぎても処理が為されないというのは、些か社会通念上からは懸離れており、異様な状態だろうか。

なにか事情があるのであれば、説明が要るだろうし、検察に法治主義はあっても、”放置主義”というのは有ってはならない話であろう。

興味深いのは、小泉町長が調査を依頼したのだという名古屋のあすなろ法律事務所による報告書である。(2011年2月21日報告書

金沢地検にも同様文書を送付したとある同報告書では、小泉町長が「ウッド・ジュニア・カレッジを卒業したことは事実であり、学歴に何らの詐称もないことが判明した」との、全く相反する調査報告が提出されているのだが、その根拠となり得る証拠は報告書では何も示されてはいない。

同報告書を取り纏めたと思料される弁護士の國田武二郎氏は、元検事であったといい、20年間に亘り検事を勤め、若手検事の指導育成にも当たっていたというから、知己や氏の薫陶を受けた後輩検察官諸氏もいることだろうし、お互いのコミュニケーションに問題は無いのだろうから、”卒業の事実を確認した”とするその真実性の証拠根拠は一体何であるのか? 元検事であり、弁護士である以上何か理由はあるのだろうから、検察は本人によく聞いて、真実は何なのかを明かにして頂きたいものである。(参考:広報しか法律相談)(参考:Wikiヤメ検

教育コースが設けられていない分野の学位が、大学・短大などの高等教育・学位発行機関に於いて真正な学位として発行されることは有り得ない話であり、同報告書は要領を得ず、これでは何がナンの調査報告なのやらサッパリ解らない。

最初の告発が金沢地検に提出されてから丁度1年後の2011年12月9日に、オンブズマン志賀により同様趣旨の告発が名古屋高等検察庁に提出されたという。

無反応な金沢地検より今後は、名古屋高検に舞台が移るということだろうか。

近年は、”検察の失態”がニュース面を賑しているようであり、刑事司法である検察官への国民の不信が生じているのだという。

自己の立場の保持や検察組織の対面を優先し、「厳正公平」や「法と証拠に基づく事案の真相究明」と言った公益の代表者としての理念からはかけ離れた組織に、検察は何時の間にやら成り果てて仕舞っていたというところだろうか。

例えて言えば、”高級で一流だと思われていた料理店が、立て続けに食中毒を出した”ようなものか。

国民の負託を受けた公益の代表者としての、国民の信頼を取り戻すべく「検察再生」の取り組み努力が現在為されているのだという。(検察の再生に向けて

信頼を再び取り戻す道のりと言うが、検察官への国民の基盤的信頼というのは、報道で耳目を集める一過性の表層な成果ではなく、ニュースにもならないような一つ一つの事案への真摯な対応によって作られてゆくものであろう。

検事や弁護士といった法曹というのは、法を自在に活用出来る専門的知識を有しているわけだろうが、これを社会に善用するのだという精神の涵養が法曹に無ければ、国民にとっては却って危険なものでしかあるまい。

法治国家ではあっても、日本を”呆痴国家”にしてはなるまい。