石川県羽咋郡志賀町の、小泉勝町長が最終学歴としている「米国ウッドジュニアカレッジ卒業」に、疑問の声が生じているという。

町長プロフィール: http://www.town.shika.lg.jp/shikasypher/www/info/detail.jsp?id=2012

小泉町長は、「Wood Junior Collegeの、Diploma」(卒業証書)と称するものを公開しているとの事だが、こうゆうDiplomaの類は模造品がいくらでも購入出来るし、最近は自分でDiplomaやTranscript(成績証明書)を自在に作成し、プリント出来るソフトまで売っている。

http://www.nd-center.com/

http://www.diplomadr.com/

学位の証明には、本人が直接出身学校から取り寄せる、「Transcript」(成績証明書)に拠る事になるが、Wood Junior Collegeは1996年にWood Collegeと名称を変更し、財政上の理由から2003年に閉校して仕舞っているという。

学校が閉校してしまうと、証明事務などは難しくなるが、幸か不幸か、Wood Collegeと同じ基督教メソジスト派の大学で、同じくミシシッピィ州に在る、「Millsaps College」が現在Wood College(Wood Jr. College)の証明事務を引き継いでいる。

http://www.ihl.state.ms.us/oasa/mcca.html

自分のTranscriptを取り寄せて、学位の取得を証明すれば良いだけの簡単な話なわけだが、小泉町長は何故かそれを拒否し続けており、先日は町民の署名による成績証明書取得の嘆願書まで出されたという。

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小さな町とは言え、自治体の長を務める政治家である以上、顔は常に町民に向いていなければならぬわけで、例え一人でも町民の疑問には真摯に答える姿勢でなければならぬ筈であり、「相手にするつもりはない」との、まるで町民に尻を向けるような姿勢はいただけまい。

平成15年(2003年)以前の選挙では、「米国ウッドジュニアカレッジ卒業」などとは言っていなかった、との話も町民の間にあるようで、疑問を呼ぶ一因ともなっているようだ。

もし、選挙時に称した学歴に虚偽があった場合には、公職選挙法に抵触する事になるだろうか。

「(虚偽事項の公表罪)

第二百三十五条  当選を得又は得させる目的をもつて公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者の身分、職業若しくは経歴、その者の政党その他の団体への所属、その者に係る候補者届出政党の候補者の届出、その者に係る参議院名簿届出政党等の届出又はその者に対する人若しくは政党その他の団体の推薦若しくは支持に関し虚偽の事項を公にした者は、二年以下の禁錮又は三十万円以下の罰金に処する。」

それにしても、志賀町というのは、なかなか大変な町のようである。

http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_flash/0909/0909060830/1.php

「Wood Junior College」(後Wood College)というのは、ミシシッピィ州北部の、Mathistonと言う小さな町に在った2年制の短期大学であった。

学校のルーツとしては、1885年頃「Woodland Seminary」と称する基督教メソジスト派の小さな教会学校の存在が記録として残っていると言う。

地域の住民の子弟に、牧師が”読み書き”を教えていたというから、まさに日本の”寺子屋”のそれである。

その後学校の体裁を徐々に整えていったようであるが、元々経済的には恵まれぬ開拓入植の地域であり、学内敷地を農園にして自給自足するなど、学校の維持運営も厳しかったようで、メソジスト教会系からの援助で何とか運営していたようである。

布教伝道の使命ということもあったろうが、学校の保健士による衛生指導や、農工技術指導、音楽、演劇の文化活動などで、地域住民の生活向上への貢献も大きかったのだと言う。

元はClarksonと言う所に在ったのだが、1914~15年頃に鉄道がこの地域にも敷かれ、14マイルほど南の鉄路沿いに出来たMathistonと言う新しい町に移転し、交通の不便が解消されたのだという。当時は「Bennet Academy」と称したと言う。

米国の教育制度の充実に伴い、初等教育部は廃止し高等教育機関となっていったようである。

1936年に「Wood Junior College」の名称になっているが、これは、当時寄附等で大きな貢献のあったJ.C.Wood女史の名に因んだものだという。

第二次大戦後も、おしなべて学校経営は厳しかったようである。

学生数の変動が大きかったと言い、1980年代の初め頃には学生が1,000人を超えるような時期もあったのだと言うが。

小泉町長が留学していたとされる1985~88年頃の大学案内では、「全米70校以上の高校から400名の学生。学生寮は150名の収容規模」と謳っている。

この頃の学位コースを見ると、「Associate of Arts」と「Associate of Applied Science」の二つがあったようである。学生数からしても2学科というのは、妥当なところに思える。

ちなみに、小泉町長のDiplomaの学位は「Associate of Applied Arts」となっていると言う。何だろうか?

その後も入学生は減少していったようで、250、200以下といった学生数も散見される。

短大の「Associate」(準学士)学位というのは、米国社会でも今ひとつ中途半端なところがあるようである。1996年に「Wood College」と名称変更したのも、イメージの刷新と、或いは4年生課程の導入を考えていたものだろうか。

2002年に認定団体(SACS - Southern Association of Colleges and Schools, Commission on Colleges)の認証を失ったのは、過大な負債での運営状態悪化と見られたのが原因だったという。

http://www.wfn.org/2002/03/msg00272.html

ここに至って、メソジスト教会も結局、”見切り千両”の決断を下ささるを得なくなったというところだろうか。

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20棟近い当時の建物がまだ残っている。この敷地は現在売りに出されているという。

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Wood Collegeの礼拝堂。 側壁が吹き通しだが、冬はあまり寒くなく夏蒸し暑いという、同地の気候に合わせたものなのだろう。嘗ては毎朝若い学生が集ったであろうこの礼拝堂も、今は荒れるが儘に時の流れに身をまかせている。